佐世保 活動の背景
- 横浜市の定年まで2年を切った頃、佐世保市に招聘されました。
佐世保市では開港以来初めて、中心市街地が港に面する街になるという、100年に一度といわれる大きな再開発事業が行われていました。
この再開発事業は、鉄道の佐世保駅を中心にして進められている、国、県、市、JR、民間による七つの事業で構成されていて、私が赴任した時には、長い事業期間の最終段階に来ていました。
軍港都市として発展してきた佐世保市は、その地理的、歴史的背景などから、市民生活の場と、港との接点がほとんどなく、この再開発事業は中心市街地の市民生活にとって画期的な意義を持つものでした。
しかし七つの事業の中の一つで、区域内を縦断するかたちで計画されている「都市計画道路西九州自動車道」については問題が起きていました。
事業決定がなされたばかりのこの高架構造の道路が、市街地と港とを空間的に分断することと、大きな楠並木のある佐世保のシンボル道路「国際通り」の上空を縦断することに対して、二つの市民グループから反対運動が起こされていたのです。
赴任の前日には、市民グループが主催する高架道路反対のシンポジュームが、「市民ホール」に定員一杯の市民を集めて開催されるというタイミングでした。 - 参照:「横浜と佐世保での都市デザイン活動」
佐世保 活動の概要
- 佐世保での仕事は、この高架の高速道路問題をどう決着させるかということから始まりました。
高架道路を鉄道に沿わせ、都市空間としては構造物を一体的に扱う修正案の提案をするなど、関係者との協議調整を重ねながら、さまざまな可能性を探りました。
しかし、手続き的にも事業的にも、ルートや構造を変更することは難しい段階になっていました。
市民グループと議会には逐一状況を報告して理解を得ながら、最終的には、道路設計に景観的な配慮をすることを国と県に申し入れ、「2車線中央暫定施工」とするなど、協議調整をしながら進めました。
また、再開発エリア全体は、鉄道を含めた陸側と、港側の二つの事業区域に分かれていました。
陸側の「土地区画整理事業区域」は既に仮換地を終え、鉄道の高架化や駅舎の建設、二つの「市街地再開発事業」や複合文化施設「アルカスさせぼ」などは、既に建設が進んでいました。
その他の建築物の誘導は既に施行されていた「景観づくり要綱」によって行いました。
一方、港側の区域の事業は「ポートルネッサンス21計画」と呼ばれ、埋め立てが進行中でした。
しかし再開発エリア全体が、市民生活の場として、既存の中心市街地と港とをどのようなかたちで結びつける街づくりを進めるのか、このことに対する配慮が不足していると思われました。
そこで再開発区域内に、中心市街地と港とを結ぶ「5本の歩行者軸」を設定し、この歩行者軸を中心に街づくりを進めるようにしました。
「ポートルネッサンス21計画」エリアでは、街づくりを補完する「地区計画」と「デザインガイドライン」を定め、「近海航路旅客ターミナル」の公開デザインコンペも行いました。
このエリアの計画は、現在は「三浦地区みなとまちづくり計画」として新たに生まれ変わり、提案募集による商業施設が立地し、国際船ターミナルを加えて大型クルーズ船が来港するなど、多くの人々が訪れる街になっています。
そしてさらに「港町佐世保」の新しい魅力を加えながら、生き続けていくことでしょう。
在籍していた7年間には、この「佐世保駅周辺地区の再開発」や「高架の高速道路問題」をはじめ、「市役所周辺地区の公共施設建て替えに伴う市街地の再編成」「郊外部への大型商業施設の出店問題」など、中心市街地の街づくりに大きな影響を与える動きがあり、こうした事業を中心に街づくりに関わる諸問題について、いずれも有能な職員たちと共に対応することが出来ました。
参照:「街歩き 国内の街」の「街並み生い立ち街歩き―港町 横浜と佐世保」
参考:「佐世保の都市デザインの展開に向けて」(JUDI070 特集 人と場の活性化-佐世保市)