計画と設計
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1965年に大高建築設計事務所に就職した頃の社会経済状況は、1964年の東京オリンピック、東海道新幹線や東名高速道路の整備、1970年の大阪万博の開催、千里や泉北ニュータウンをはじめとする宅地開発等が行われていた時代でした。
また1969年に都市再開発法が誕生し、再開発基本計画が全国の駅前地区や商店街などを対象に、さかんにつくられていました。
GDPが世界第二位になる高度経済成長期の最中でした。
社会に出て最初に担当した仕事は、多摩ニュータウン計画について、多摩丘陵の自然地形を生かした住宅地にする研究とその全体計画の作成でした。
その後も、再開発基本計画や観光開発計画などに携わりました。
しかし、こうした計画が実現する場面に出会うことはありませんでした。
一方、建築については、基本設計から完成するまでのプロセスにいくつか携わることが出来、物づくりを体験することが出来ました。
建築から都市にいたるまでのこうした様々な仕事に携わった経験は、後に地方自治体での都市デザイン活動の基礎として役に立っています。
ニュータウン計画
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・ 第7次多摩ニュータウン全体計画・自然地形案
大高建築設計事務所で最初に担当したプロジェクトは、多摩ニュータウン計画について、自然地形を生かした住宅地開発の研究と全体計画の作成でした。
当時、通常行われていた丘陵地を平坦地に造成し、羊かん型の住棟を並べる手法が通用しなくなった計画地域を、丘陵の地形をそのまま生かして計画人口30万人のニュータウンを開発する研究でした。
都市計画の仕事を、建築設計事務所が日本で初めて手掛けた仕事でもありました。
建築、都市、道路、交通、造園など関係する分野の専門家が参加するプロジェクトチームによる検討の結果、トータルの事業費も従来の開発手法と変わらずに可能という成果を得て提案をしました.
しかし結果は、採用されずにお蔵入りをしてしまいました。
緑豊かな丘陵地に展開するニュータウンづくりを夢見て取り組んだ結果は、挫折で終わりました。
・ 多摩ニュータウンセンター地区の計画(都市計画学会案)
都市計画学会によるセンター地区の計画の作成にも参加しました。
これも建築と都市を一体的にとらえるプロジェクトで、様々な分野の専門家との議論を通じて多くの知識や考え方を学ぶ機会になりました。
・ 港北ニュータウンセンター地区の基本設計
・ 港北ニュータウンサブセンター地区の基本計画
・ 立川地区跡地計画構想
再開発計画
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・ T地区再開発計画
・ K駅前再開発基本計画
・ H中央銀座再開発基本計画
・ A駅前再開発基本計画
・ F駅前再開発基本計画
・ 横浜東口駅前計画案
観光開発計画
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・ IN観光開発計画
・ S地区観光開発計画
・ N地区観光開発計画
建 築
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・ 日産自動車追浜工場体育館
・ I市民会館
・ O市図書館
・ E医院
・ 住宅(Nt邸、Na邸、Ka邸、Ku邸、Oo邸)
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